麻衣子の記録 連載第3回

2015年4月10日(金)
 この日の夜は、麻衣子の学校の歓送迎会だったが、なぜか、麻衣子は会に出席しないで、家に帰ってきた。歓送迎会を欠席することなど、今まで一度もなかったことなので、私は、どうしたんだろうと不思議に思った。麻衣子は、目の具合が悪いし、おなかも痛いので、欠席したのだと言った。「悪いけど、夕食はこれを食べてね」と言って、握りずしのパックを私に差し出した。そして、自分は、冷やしたタオルを顔に当てて、横になってしまった。
 
4月11日(土)
 土曜日の朝だった。麻衣子が私にこう言った。
「目の調子が悪いので、眼科に行きたい。運転ができないので、乗せていってほしいの」
 私は、車の運転ができないほど、目の調子が悪いのかと驚いた。麻衣子は近くの眼科を受診した。
 
4月12日(日)
 見た目は普段と変わりない生活ができている様子だが、麻衣子が自分で運転できないと訴えたこともあり、毎日が日曜日という私は、朝夕、学校まで送迎するよと申し出た。
 麻衣子の勤める学校は、私もかつて勤務した学校であり、そこで、麻衣子と私は出会って結婚した。今も、この学校には、かつて私の同僚だった教員もいる。朝夕送迎の際、懐かしい教員に会うこともあった。「なかよし夫婦だね。ご主人の送迎とは」と、言われそうだった。
 
4月13日(月)~4月18日(金)
 私が、麻衣子の職場まで車で送迎した。夕方、迎えに行って、学校の前に到着していることを知らせようと、麻衣子の携帯に電話しても、麻衣子は、それに気づかないことがあった。でも、送迎の最初の週、問題となるようなことはなく、麻衣子は普通に勤務しているようであった。
 昼間、私は奥の細道ドライブ旅行の準備編を実施していた。
 
フェイスブックへの投稿(文章のみ)
奥の細道ドライブ旅行(準備編)です。いろいろな事情があって、このところ、散歩ではなく、自宅にあって、奥の細道旅行計画の作成および「おくのほそ道」についての学習に励んでいます。なお、5月の連休明けから18日間の予定で、奥の細道のコースに沿ってドライブ旅行に出かけます。ドライブ旅行に先立ち、昨年秋、都内の芭蕉ゆかりの地を散歩したときの写真を整理しています。
 
4月18日(土)
 N眼科通院。医師から「眼鏡を合わせましょう」と、処方箋をもらった。
 
4月19日(日)
 麻衣子と美帆は、研究学園駅前にできる新しいマンションを見学に行った。以前から、美帆が目を付けていたマンションだった。帰ってくるなり、麻衣子は私に向かって、「よっちゃん、マンション決めてきたわよ」と言った。私は、「美帆はうまくやったね」と麻衣子に言った。
 私たちは、20年以上の団地住まいであり、その前もマンション住まいだった。結婚以来、ずっと、賃貸住宅暮らしだったのだ。あとわずかで、麻衣子も定年だが、麻衣子は、老後は温泉の近くに住みたいとよく言っていた。実際、田舎暮らしを考えていたようで、そのような雑誌をよく読んでいた。私は、老後に住む場所については、すべて麻衣子に任せていた。私自身は都会に住もうと田舎に住もうと、どちらでもよいと考えていた。ところが、麻衣子は、急に、研究学園駅前の15階建てのマンションの一室の購入を決めてしまった。健康への不安で、気持ちが弱くなり、それまでの考えが変わってしまったのかもしれないと思った。
 
4月20日(月)~4月22日(水)
 
フェイスブックへの投稿(文章のみ)
奥の細道ドライブ旅行準備中です。私が住んでいる団地は、現在、外壁の塗装の大工事中(姫路城のように、やがて真っ白になる予定)。そのために、バルコニーには何も置くことができず、スチール物置がリビングに居座っています。洗濯物が干せるのは、日曜日のみ。でも、一番困るのは、野菜(トマトやなす)のプランター栽培が始められないことかな。今、できるのは、部屋のなかでの椎茸の栽培ぐらい。今日、また、新しい椎茸菌床が届いたので、栽培開始です。それから、今年の1月から、ロビ君の組み立てにも挑戦しているのですが、まだ、頭部と左腕ができあがった程度で、完成は来年の今頃かな。4/21
 
 私が、麻衣子の職場まで車で送迎した。夕方、麻衣子を迎えに行って帰ってきたとき、駐車場から団地までの歩行の様子を観察すると、やはり歩き方がおかしかった。ふらつきがあるうえ、車の通っていない道路を横断して左方向へ行く場合、最短なコースをとるのが普通だが、右へ大きく湾曲してしまうことがあった。
 
4月23日(木)
 いつものように麻衣子を学校まで送ってから、美帆を成田空港まで送っていった。ハンブルグに住んでいる義母の弟が認知症になり、施設に入ったという連絡を受けたので、義母がその様子を見に行くのに、美帆が付き添って行くことになったからだった。義母の弟の息子は、英語は話せるが、日本語は全く話せないので、義母は美帆の通訳を必要としていたのだった。成田空港で、義母と合流し、2人が出発口に入っていくのを見送った。その時は、麻衣子の病気について、まだ、義母には内緒にしていた。「母を心配させないで」という、麻衣子の願いからだった。
 その帰り、私は、佐倉市に立ち寄って、歴史民俗博物館を見学した。私は、そこに、芭蕉が感動したという石碑のレプリカがあると知っていた。奥の細道ドライブ旅行を計画中であった私は、そのレプリカを見ておこうと思ったのだ。天気の良い日だった。私は、博物館の見学を終えて、のんびりと車を走らせて、家に帰ってきた。
 
フェイスブックへの投稿(文章のみ)
奥の細道ドライブ旅行準備中です。今日は、用事があって、ドイツのハンブルグへ行く高齢の義母に付き添うことになった次女を成田空港まで車で送り届けた帰り道、佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」に立ち寄りました。企画展と常設展を見学しましたが、その昔、芭蕉多賀城で見学し感銘を受けたという「つぼの碑」のレプリカも展示されていました。4/23