麻衣子の記録 連載第64回

8月29日(土)
9:40 麻衣子の病室へ。乳酸菌飲料を飲ませる。痰の吸引をしたようだ。だんだんと体の状態が厳しくなってくる。口の中をきれいにしてあげようと思ったが、口を開けてくれない。 
10:10 口を少し開けたので、スポンジ歯ブラシで喉の中をきれいにする。大量の固形物があった。これでは苦しいだろう。
10:17 また、少し口を開け、喉の音がしたので、喉のネバネバをきれいにした。薬を飲ませた。
10:45 検温37.2度、血圧測定。
11:20 苦しそうに息をしている。発作か?
11:40 苦しそうな発作。
13:30 喉をきれいにして、水と乳酸菌飲料を飲ませる。
14:50 鼻息と、体が動く発作。
15:10 体が動く、左足、左腕が動く。発作だ。
15:30 喉のネバネバをとって、水を飲ませる。
16:10 体が揺れる発作。
16:20 水を少量飲ませる。
16:25 体が揺れる発作。
17:00 美帆が来たので、交替して、私は団地に戻る。
21:15 美帆が団地に帰ってきた。
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 麻衣子がいなくなったら、やっぱり私は一人暮らしだな。美帆と一緒に暮らしていても、何の慰めにもならない。子供に頼らず、一人で生きていこう。義母は中心静脈栄養や高カロリー輸液を使うことは、延命だという。私は、命というものはどんなときでも、懸命に生きようとするものだと思っている。麻衣子のことは、私がすべて決定すると決めた。
 
8月30日(日)
9:35 麻衣子の病室へ。乳酸菌飲料を飲ませる。その後、発作の時は、口をなかなか開けてくれなかった。お通じのための座薬の処置があった。体温は37.4度。薬と乳酸菌飲料を飲ませる。喉のネバネバの量が多い。
10:45 口を開けて、幸せそうに眠っている。薬が効いてきたのだろう。
13:05 首を横に振る発作。声を出して、体が揺れる発作が続いた。
15:08 今は落ち着いて、いい表情になっている。でも、「ハー」とちょっと苦しそうな声を出すこともあった。 
15:22 「オワオワ」のような発作。
16:00 喉のネバネバをとる。
16:40 足の収縮発作。
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 麻衣子の看護生活での私の内なる敵は、「延命的処置」や「尊厳」を理由に高カロリー点滴すら問題視する、美帆や義母だ。義母は自分が加入しているという、尊厳死を求める協会の機関誌を持ってきて、私に見せた。私の看護方針に対する反対の表明だろう。「食べ物を口から摂れなくなったら、生きて行くのは無理だ」と義母は言った。経口摂取できなくても、元気で生きている人はいくらでもいる。私はそう思った。
 看護師さんに聞いてみた。その若い看護師さんは、「中には、点滴は水だけでという人もいますからね」と笑った。
 でも、看護の中心になっているのは麻衣子の夫である私だ。これから、どんな医療処置が必要になっても、責任を持って決断するのは私だ。麻衣子にとって何が一番良い処置なのかの判断は私がする、そう思った。
 マンションの残金の支払いは、今後一切やらないことに決めた。美帆は私の言うことは一切受け入れない。こんな関係で、一緒に暮らすのは無理だろう。麻衣子も私も住まないようなマンションに、お金を出す必要はない。
 お金をかけるなら、マンションへではなくて、病気の麻衣子へだ。「もし、金粉入りの点滴というものがあるなら、私は使いたい。美帆にお金を残さなくていい。麻衣子は、お金を全部使い切って天国へ行くべきだ」と私は義母に言った。
 麻衣子はかわいそうな姿でベッドの上にいる。助け合わなければいけない私と美帆は、協力して行動できているとは言えない。それが、現実だ。