麻衣子の記録 連載第72回

9月14日(月)
9:30 麻衣子の病室へ。元気がない。枕から頭が落ちていた。喉をきれいにしたくても、口を開けてくれない。
10:05 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。検温で37.1度だったので氷枕になる。 
11:00 看護師さんに体を拭いてもらった。看護師さんによる口腔ケア。
12:05 口の中のネバネバをとる。
13:10 検温、血圧測定。熱はなし、血圧もOK。
14:50 喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。喉を鳴らしている。表情はとても元気だ。まだ半年は大丈夫だろう。
15:10 喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。
16:40 収縮発作がある。
17:45 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。 
18:35 喉のネバネバをとる。
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 今日の麻衣子は元気で、穏やかだった。発作もほとんどなかった。
 朝から晩まで、病室で過ごす毎日。だから、看護師さんに、昼食はどうしているのですかと聞かれた。最初の頃、私は、病院内の売店でお弁当を買っていた。そのうち、途中のコンビニでおにぎりを買った。やがて、朝、自分で「おにぎらず」を作るようになった。
 昼食は、私の看護生活での楽しみの一つだが、10分もすれば終わってしまう。でも、それは幸福なひとときだ。それに比べて、ベッドの上の麻衣子は、見ることも話すこともできず、食べることもなく横たわっている。そして、時々、予期していない水分が、口の中に、突然、流れ込んでくる。どうみたって、これは拷問じゃないか。
 
9月15日(火)
9:50 麻衣子の病室へ。 
10:00 喉のネバネバをとって、薬を飲ませる。
11:00 シーツ交換が終わる。
15:00 義母と孝史さんが来る。
15:40 大学病院のT先生がくる。先生は「熱さえ出なければ」と言った。
16:52 歯をむき出すように、唇をピクピクとさせている。「あー、あー、あー」と声も出している。
17:30 薬を飲ませた。
18:50 眠り始めた。
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 今日は火曜日で、義母が来る日であった。でも、なかなかやってこなかった。ところが、意外にも、午後3時過ぎ、孝史さんと一緒にやってきた。麻衣子の弟の孝史さんは恐れたような、泣きそうな表情で、ベッドから離れたところで、麻衣子を遠巻きに眺めるだけだった。ついに、それにも耐えきれなくなり、30分もしないうちに義母と帰ってしまった。ずっと以前に来たときは、恐る恐る、指を一本だけ伸ばして、ちょっとだけ麻衣子の額に触れたが、今回は、それすらできなかったのだ。結婚する前は他人だった私と違って、たった一人の変わり果てた姉を見るのは、私よりも何倍もつらいのだろう。
 「ご主人は慣れていらっしゃるから。ご家族の方でも、怖がってしまう人が多いんですよ」と、看護師さんに言われたことがある。確かに、私は慣れているのかもしれなかった。私は、病虚弱の子供たち、知的障害の子供たち、肢体不自由の子供たちの教育に当たった経験があるし、ICUにいる、ほとんど無反応の子供の学習指導も担当した。脳に障害を受けると、人はどんな状態になるのかをよく知っていた。
 私は仕事柄、重度の障害者を持つ親とも深く関わった。親たちの子供に寄せる愛情には、いつも感心させられた。どんなに障害があろうが、大切な命なのだ。重い障害なのだから、生きている意味がないなんて、誰も考えもしないし、まして、そんなことを、言ったりはしない。
 孝史さんと同じく、美帆もまた、ただただ、病気の麻衣子が怖かったのだろうと思う。
 夜、麻美と電話で話した。美帆に対する苦しい胸の内を訴えたが、麻美には通じないようだった。だから、こちらから、電話を切った。