麻衣子の記録 連載第107回

11月27日(金)
0:00 麻衣子は眠っている。
 夕方、麻美を荒川沖駅まで送った。麻美が、いったん、鳥取に帰ることになったからだ。私は、麻美に、今度、つくばに来るのは、「ママが亡くなった後でも良い」と話した。麻美は、美帆が体調が悪いらしく、病棟へ来られないと私に言った。このため、義母には旅館ではなく、病室にいてもらうことにした。
 麻衣子の死後のことについて、義母と悶着になった。原因は娘たちが私を無視しているからだった。私が義母に愚痴を言うと、義母は常に孫の味方で、すべて私が悪いという事になってしまう。麻衣子の看護も母親としてより、孫の替わりをしているということなのだろう。他人の私と、祖母および孫との対立の構図といったところだ。義母に何を言っても無駄。麻衣子がこんなことになって、はっきりとそのことがわかった。私は私の道を進んでいこう。私の人生を取り戻そう。それが私の生きる道であろう。麻衣子の病気は、私にいろいろなことを教えてくれたと思った。
23:33 検温38.5℃ 血圧97-58
 
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 麻衣子はすでにラストステージにあったから、臨終の後のことも考えなければならなかった。娘たちが、どこかのセレモニーホールに予約済みであるというのは薄々知っていた。 
 
私から麻美へ
ママの病状は、ちょっと危ないです。今夜かもしれません。ママが息を引き取った後の手順を、美帆ときちんと打ち合わせておいてください。私は、どこの葬祭業者に予約があり、どこの斎場で火葬にするのか聞いていません。業者の窓口が誰なのかも知りません。この件で、お義母さんと揉めました。いざとなったら、私が私の実家に連れて行くと言ったからです。ママはかなり危ない様子なので。
 
 すると、麻美は、予約してあるセレモニーホールのK商事のリンク先を知らせてきた。私は初めて、その名前を知った。麻美は、麻衣子が大学病院へ入院してすぐに、そのセレモニーホールに行ったそうだ。私は、麻衣子が亡くなったその日に、K商事の担当者からそれを聞いた。
 
麻美から私へ
調べたのは私で、前に何件か電話したとき、対応してくれたのが一番感じがよかったので、いざというときは動揺して選べないだろうと思ったから、安心してお願いできそうな所にしたの。相談しなくてごめんね。早いうちから葬式のことを言うと、父さんは嫌かなと思って、言わなかったんだけど。
 
 娘たちは、一番大切なことなのに、私を無視し、勝手に進めておきながら、私に問い詰められると、言い訳だけを言った。麻衣子が望んでいるからと、家族葬だ、樹木葬だと自分たちだけで決めていた。麻衣子は現職の教員であり、学校には大勢の同僚や子供たち、保護者がいる。そこには、私の知り合いだってたくさんいる。家族葬なんかにできるわけがあるものか。