麻衣子の記録 連載第109回

12月1日(火)
8:10 麻衣子の病室へ。美帆はすぐ、ここから職場へ向かった。朝、私が家を出るとき、美帆から電話があり、自分は7時までに仕事に戻るので、早く病院へ来てほしいと言われた。麻衣子がこんな状態の時に、何を言っているんだ。
 私は、病院に着いてから、朝、昼食のために用意してきた、おにぎらずとバナナを食べた。
8:36 血圧80-44
10:43 検温36.9度 血圧 86-53
11:30 清拭。新しいネグリジェに着替えさせてもらった。
11:50 義母が来た。
18:50 しばらく前から、よく眠っている。
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 夕方、大学病院のT先生もみえた。先生は、「いつ亡くなってもおかしくない」と言った。
 
私から麻美へ
モニターで危機的になったら、当直医と看護師が飛んでくるだろう。ママの家系は長寿で、私の家系は短命。私がこんな役割をするとは思わなかったよ。女性は、お一人様になる覚悟があると言うけど、男は考えたこともないという人も多いだろう。私は、考えたこともないし、こんなに早くやってくるなんて、全く考えなかったよ。ママとの幸せな日々を思い出しながら、寂しい余生を送るのかもしれない。でも、美帆と離れ、自分の自由な人生を取り戻したいと思っている。
 
麻美から私へ
人生って本当にわからないものだね。
 
私から麻美へ
ケセラセラだ。
 
麻美から私へ
美帆も、父さんも、自分の幸せのために生きてけばいいんじゃない。これから。
 
23:33 体位変換。血圧測定 82-43
 
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 私は朝8時に病院に行ったが、美帆にとっては、遅すぎたらしい。美帆は、2時間休を取ることになって、職場で気まずくなったという。でも、今は緊急の時だ、母親の看護が優先だろう。いつ何時、必要になるかもしれないから、麻衣子の保険証を返せと言っても、返してはくれなかった。
 母や父を亡くしたとき、私には麻衣子や子供たちがいた。幸せな家庭があった。だから、悲しみも癒やされた。でも、今度は違う。麻衣子を失ったら、私は一人だ。
 麻衣子が旅立って、ある程度、片が付いたら、私は東京散歩を再開しようと思う。それが、立ち直りの一番良い方法だと思うからだ。できるだけ、外に出ることだ。京都に行くのもいい。最後に、麻衣子と歩いた道を再び歩こう。