奥の細道をたどる(その3)

深川、清澄庭園の近くに、採茶庵跡がある。採茶庵は、芭蕉の弟子・杉山杉風の別宅であった。杉風は、日本橋で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で芭蕉の生活を支えていた。
芭蕉は、芭蕉庵を処分したのち、杉風のこの採茶庵に移り、ここから、おくのほそ道の旅に出かけた。 採茶庵跡には、いま、まさに、みちのくへ旅立とうとする芭蕉がいた。芭蕉は採茶庵のそばを流れる仙台堀川から舟に乗り、隅田川をのぼって千住まで行く。現在、仙台堀川沿いは、遊歩道になっている。
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月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・・住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、

「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」

表八句を庵の柱に掛け置く。