奥の細道をたどる(その5)

日光道中は、江戸日本橋を起点とし、千住、草加、越谷、粕壁とつづいていた。
曾良随行日記によると、千住をスタートした芭蕉曾良の最初の宿泊先は粕壁宿だった。
ところが、芭蕉は「おくのほそ道」本文で、ようやく草加宿にたどりつき、そこに泊まったかのように書いている。
千住宿から草加宿までは、10kmにも満たない。
当時の旅人は一日に10里(約40km)は歩いていた。
老身の芭蕉は、「自分が望んだ旅ではあるけれども、みちのくへの旅の困難さと旅の荷物の重さに、なかなか足が進まない」と強調したかったのだろうか。
粕壁宿での宿泊先は、東陽寺か観音院だろうといわれている。

 

春日部市教育センター内にある「郷土資料館」に展示されている「粕壁宿推定模型」を見て、再現された当時の宿場の様子にいたく感心した。日光道中日光街道)沿いに、ウナギの寝床のような家がたくさん並んでいた。
300年以上も前に、芭蕉曾良は弾んだ気持ちで、この通りをみちのくへ向かって歩いていったのだろう。