2023-01-01から1年間の記事一覧

奥の細道をたどる(その9)

芭蕉たちが訪れた裏見の滝。 「しばらくは 滝にこもるや 夏の初め」 現在では、芭蕉と曽良がやったような、裏から滝を見るということは出来ません。

奥の細道をたどる(その8)

「あらたうと 青葉青葉の 日の光」 「剃捨て黒髪山に衣替え」日光東照宮が造営されたのは、芭蕉が訪ねる50年ほど前であった。江戸時代には、簡単に東照宮の境内に入り、自由に歩き回ることはできなかった。身元の確かな者だと告げ、参詣の前日までに、旅籠屋…

奥の細道をたどる(その7)

1689年3月27日(陽暦5月16日)に千住をスタートした芭蕉と曾良は、初日が夜雨、二日目は時々雨、三日目は昼過ぎから曇り、夜小雨と、天気に恵まれていません。「雨を心配した芭蕉は三日目に宿泊した鹿沼で新しい菅笠を手に入れ、翌朝、日光に向かった」とい…

奥の細道をたどる(その6)

芭蕉と曾良は、千住をスタートし、粕壁(初日)と間々田(二日目)に宿泊した後、最初の歌枕の地、「室の八島」を訪れた。歌枕「室の八島」は、栃木市総社町の、ごくありふれた神社にあるが、この大神神社は、芭蕉が立ち寄ったことで一躍有名になった。芭蕉…

奥の細道をたどる(その5)

日光道中は、江戸日本橋を起点とし、千住、草加、越谷、粕壁とつづいていた。曾良の随行日記によると、千住をスタートした芭蕉と曾良の最初の宿泊先は粕壁宿だった。ところが、芭蕉は「おくのほそ道」本文で、ようやく草加宿にたどりつき、そこに泊まったか…

奥の細道をたどる(その4)

芭蕉は、元禄2年3月27日(現在の暦では5月16日)に千住で船からあがり、みちのくへ向けて出発する。・・・・・・・・・・・・・弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、富士の峯幽にみえて、上野谷中の花の梢又いつ…

奥の細道をたどる(その3)

深川、清澄庭園の近くに、採茶庵跡がある。採茶庵は、芭蕉の弟子・杉山杉風の別宅であった。杉風は、日本橋で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で芭蕉の生活を支えていた。芭蕉は、芭蕉庵を処分したのち、杉風のこの採茶庵に移り、ここから、おくのほそ…

奥の細道をたどる(その2)

江東区芭蕉記念館には、芭蕉稲荷神社から移された芭蕉庵(芭蕉庵を模した祠)があり、その中に、芭蕉石像が安置されている。江東区芭蕉記念館から出ると、隅田川堤防沿いにパネルが掲示されている。そのパネルは、わざと、時の経過を感じさせるようにと銅板で…

奥の細道をたどる(その1)

今から、7年前の2016年、私は奥の細道ドライブ旅行と称して、奥の細道ゆかりの地を車でたどった。かつて、その記録は、フェイスブックに公開した。その記録をもう一度振り返ってみたいと思う。時々、内容を見直して、書き加えて行きたい。・・・・・・・・・…

小説「麻衣子の記録 クロイツフェルト・ヤコブ病の看護日記」を差し上げます

ご希望の方に、小説「麻衣子の記録 クロイツフェルト・ヤコブ病の看護日記」を差し上げます。 ヤコブ病で亡くなった女性の、発病から亡くなるまでを記録した日記です。 連絡先:kamiru39113911@yahoo.co.jp

庭のチューリップが咲き始めた

庭のクロッカスとチューリップ(3月12日撮影)