麻衣子の記録 連載第18回

6月6日(土)
4:35 幸せそうに眠っている。
4:47 麻衣子は起きている。「思い出のアルバム」の歌を聴かせている。「あー」「うー」という声を出すが、言葉にはならない。
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19:07 「二人は80歳」の歌を聴かせている。大きなあくびをした後、「うーあー」と長くうなり声を出した。
20:05 右口角のゆっくりとした不随意運動。落ち着いてはいる。
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「ぼこうのうた」は、VTR(聾学校の子供たちの合唱)と私の歌うものをきかせている。 
 毎日、私と美帆が交替で麻衣子に付き添っているし、時々、義母や麻美もやって来るので、それを見ていた看護師長さんが、麻衣子のことをこう言った。
「こんなに大切にされて幸せな人ね。きっと、元気な時は家族のことを大事にしてきたんだろうけど」。
 私たちへのねぎらいと、励ましの言葉だったのだろう。
 
6月7日(日)
 深夜、時々、麻衣子は、喉を詰まらせた声のあとに、「あーー」と長く甲高い声を出した。それは、もの悲しい声で不気味だった。まるで、命が消えゆくときの寂しさと悲しさとむなしさを表現しているような叫び声に私には聞こえた。でも、朝になると、赤ちゃんになった麻衣子が目を覚ました。
4:55 「二人は80歳」の歌を聴かせていたが、それが終わると、何度も麻衣子は笑った。楽しいことを思い出しているのだろうか。
6:59 「ぼこうのうた」を聴かせたが、やっぱり笑っていた。そして、大きなあくびをして、「うーー」という声を出した。その後も、「うふふ」とずっと笑っていた。
10:11 泣き顔になった。窓の外は、雲があるものの、よく晴れている。
11:46 私が、「ぼこうのうた」を歌ってやると、麻衣子はしきりに右腕を動かした。その後、ちょっと体が動いた(不随意運動)。
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 麻衣子と結婚し、一緒に暮らし始めた頃のことを思い出す。朝、私より先に起き出した麻衣子が台所で朝食を準備している。私の耳に、包丁とまな板の「トントン」という音が聞こえてくる。私は幸福感に満たされていた。
 麻衣子は料理が好きだった。暇さえあれば、台所に立って何かしていた。最初のマンションから団地に引っ越すとき、麻衣子は、深夜まで、お世話になったマンションの台所を磨いていた。他の部分の掃除に比べれば、明らかに、台所の掃除に圧倒的な力が込められていた。それだけ、台所への愛着が強かったのだろう。
 その麻衣子の人生がいきなり中断され、大好きな台所に立つことが、もうあり得ないのだということは、私には受け入れがたいことだった。
 
6月8日(月)
今日は麻美が麻衣子のそばにいる。麻衣子の肩の辺りを軽くたたき、音楽のリズムをとっている。こんなとき、麻衣子は本当に穏やかだと思う。
 私は、麻美に対して、「ママのために、今、してあげられることが何なのかを真剣に考えろ」と何度も言った。麻美は、「美帆も私も、もう十分してあげているよ」と言うが、それは、私を満足させるものではなかった。