麻衣子の記録 連載第17回

6月2日(火)
 美帆と私での、24時間体制の付き添いが始まった。翌朝、美帆が来て、バトンタッチし、私は家に戻った。そして、家で仮眠をとり、夕方になると、自転車で再び病院へ向かった。私は、できるだけ早く病院へ行って、美帆と交替してやろうと考えていた。
 朝8時頃、麻衣子は左手を振っている。果物をフォークで口に入れてやると、食べている。食べながら、「ほらー、ほらー」と言っている。麻衣子は、声を懸命に出しているが、言葉にはならない。言葉を出そうと、必死にもがいているようで、それは、本当にかわいそうな姿だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 夜8時頃、屈曲させた右腕は、胸の上にあり、左手の指はチョキの形にして、屈曲させた左腕を振っている。夜10時、「ぼこうのうた」や「二人は80歳の歌」を歌ってやった。歌に合わせているのか、しきりに左腕を振っている。私は、「マチュピチュへ行くんでしょう。病気が治ったらね。絶対に行くって言ってたでしょう」と、話しかけた。
 やがて、麻衣子は口を開け、いびきをかいて眠った。昨日よりはよく眠っているようだった。
 
6月3日(水)
 麻衣子は、いびきをかいてぐっすり眠っていた。このまま、昏睡状態に入ってしまうのではないかとちょっと心配したが、午前4時頃、麻衣子は目を覚ましたようだった。よく眠れたようなので、私はうれしかった。私は、「良く寝たねえ、良かったねえ」と、ベッドのママ赤ちゃんに声をかけた。
 ママ赤ちゃんは、見えない目を開け、口を開けて、しきりに何か言おうとしていた。変わり果てた姿ではあったが、私は、赤ちゃんに戻ってしまった麻衣子をいとおしいと思った。朝、目覚めたばかりで、まどろんでいる麻衣子は本当にかわいい赤ちゃんそのものだった。今、このママ赤ちゃんを守ってやれるのは、私なのだと思った。そして、朝のこんなひと時こそが、私をいいようのない幸せな気分にさせてくれるのだった。こんな風に穏やかな麻衣子とこれからもずっとずっと一緒にいたいと思った。
 目覚めてから、麻衣子は、ずっと起きていた。点滴が繋がれた右腕を動かして、何か言っている。時折、「ハハハ」と笑った。私は、「あした、美帆とお義母さんがくるからね、明後日、麻美が来るからね」と言った。麻衣子は「ごめんねー」と言った。他の言葉は聞き取れなかった。麻衣子が目を覚ましているときは、「ぼこうのうた」を歌って聞かせた。私は麻衣子に「笑顔がいいねー」と声をかけた。「お義母さんと何の話をするのかなあ」と私が言ったら、顔を横に向けて、泣きそうになった。「仲良しのS先生に会いたい?」て聞いたら、麻衣子は「会いたいよ」と言った。
 麻衣子は、左手を振りたそうにしていた。右手だけ握ってやり、左手は自由にさせた。麻衣子は、しばらくの間、左手を動かしていた。「疲れたら振るのは止めて、後でやったら」と私が言うと、麻衣子は、左手を下におろした。
 朝のおむつ交換の時、麻衣子は、「ヤダー」と叫んで拒否した。そして、涙ぐんだ。
 
6月4日(木)
 真夜中、麻衣子は目を覚ましていた。左腕は屈曲させ、胸の上にあったが、それは、ピクピクと動いていた。朝になって、苦しんでいる麻衣子に、「苦しいねぇ、苦しいねぇ、つらいねぇ」と声を掛けたら、麻衣子は最初、笑ったが、次第に泣き顔になって、ついには声を出して泣き始めた。私が麻衣子にしてあげられるのは手のひらで頬をなでてやることだけだった。病気がどんどん進行していく麻衣子を前にして、ただ、病気の進行を見守っているだけで、私には、どうしてやることもできないのだった。
 
6月5日(金)
 夜8時、麻衣子は麻美と美帆に手を握られて、にこやかな表情でとても喜んでいるようにみえた。私は、麻衣子に言った。「麻美は貧乏だから、つくばに来るときはいつも高速バス、だから、急いで飛行機で来られるようにと、お金をたくさん渡しておいたからね」。言葉が通じたかどうかはわからないが、麻衣子はとても良い笑顔をみせていた。