麻衣子の記録 連載第27回

6月23日(火)
2:10 おむつ交換、体位変換。よく眠っている。
3:10 よく眠っている。
3:40 目を開けている。「えーん」という声を出す。また、目を閉じた。
4:10 体位変換。よく眠っている。
4:30 目を開けた。
4:50 びっくり反射(両腕)。また、眠り始めた。
5:15 びっくり反射。
5:40 声をあげて泣き出す。歯ぎしりをしている。
5:50 乳酸菌飲料を少量飲ませる。しばらくの間、左腕がピクピクと動いていた。
5:55 びっくり反射。乳酸菌飲料を少量飲ませる。 
6:35 発作が起きて、歯を食いしばっている。つらくて泣き出す。
6:45 目(瞼)をピクピクさせる。口を大きく開けて、呼吸が苦しそうな様子だ。その後は、ぼんやりとしている。 
6:55 びっくり反射。
7:00 びっくり反射。歯ぎしり。「ふっ、ふっ、ふっ」と苦しそうな息と声。
7:05 びっくり反射が頻繁に起こる。おむつ交換、体位変換
7:30 上半身に力が入る。歯ぎしり。びっくり反射が10回以上も
あった。
7:45 左腕に力が入る。苦しそうだ。
7:50 びっくり反射が続く。苦しそう。 
8:50 目に現れる発作。苦しそう。
9:00 薬(夜の2分の1量)を飲ませる。スイカ汁を飲ませる。
9:20 びっくり反射が起きたが、すぐに治まる。
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18:00 麻衣子の病室へ。美帆の話では、昼間も、発作が多かったとのこと。
18:40 長い発作が起こる。頭から上半身へ。つらいだろう。びっくり反射。2度続けて、大きな苦しい発作があった。
19:15 発作が続く。
20:15 薬を飲ませる。 
21:05 口を尖らせて、動かしている。
23:00 体位変換
 
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 麻衣子が入院して1ヶ月になるが、最初に余命1カ月と宣告されたので、この病院で最期を迎えるものと私たちは考えていた。でも、そうはいかなかった。     
 
6月24日(水)
3:15 しばらく起きていて、声を出していたが、眠った。
4:40 落ち着いている。
5:35 落ち着いている。
5:50 びっくり反射が数回連続で起きる。
7:10 乳酸菌飲料を飲ませる。落ち着いている。
7:18 眠った。
7:29 発作があるが、穏やかな感じ。
7:34 昨日は発作が多かったが、今日は落ち着いている。良かった。
8:20 びっくり反射が始まってきた。
8:40 落ち着いている。看護師さんと話をする。娘の職場復帰の件、家族の看護の体制の件について。大学病院は急性期の患者が対象だという。でも、この大学病院以外に、神経内科は近くにはない。
8:45 大きな発作がある。でも落ち着く。
8:50 朝の薬(夜の2分の1量)を飲ませる。乳酸菌飲料を飲ませる。
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19:10 激しい発作がある。体を折り曲げ、歯を食いしばり、「ハーハー」言いながら、こらえている。薬は服用したばかりなので、まだ、効き目は現れていないのか。
19:45 薬が効いてきたのか、喉を鳴らして眠り始めた。
21:20 点滴針の交換。
21:50 体が動いても、ぐっすり眠っている。幸せそうに口を開いて眠っている。表情を見ると、以前の麻衣子とは違う。
23:10 おむつ交換、体位変換。目は開くが、眠っているようだ。
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 個室から大部屋への移動を考えていた、ちょうどその頃、転院の話が来た。転院先は、私たちが住んでいる団地から20km離れた、地方の病院だった。その村には、私の勤務した養護学校もあったので、村のことを私は良く知っていた。この村には、競走馬のトレーニングセンターがあることでも有名だった。村にある森林公園には、家族で行ったことがあった。そこなら、なんとか通えると思った。もっと近くの病院だったら、仕事をしている美帆には都合が良かったのだが、この話を拒否するわけにはいかなかった。主治医が、週に1回、外来診察に行っていたこともあって、引き受けてくれたようだった。転院後も、週に1度行くので、安心でしょうと言われた。私は、どんな転院先でも、受け入れてもらえるならいいと思っていた。拒否したら、自宅療養になってしまうだろう。以前、私は、自宅療養も考えたいと義母に話したが、それは無理だと言われた。病気が病気だけに、自宅療養は難しいと思われた。
 私は、その病院で、しっかり看護してもらえるのかと、主治医に尋ねた。主治医の答えはこうだった。
「最低限の基準は満たしていますから」
 付き添いについても、夜間は無理で、昼間も、面会時間のみだろうという話だった。それなら、私の生活はずっと余裕ができ、楽になるのかもしれないが、今の状態の麻衣子を病院に長い時間、任せておくのは不安だったし、私自身の責任を放棄したようで嫌だった。
 M中央病院への転院が決まり、私も覚悟を決めた。7月から、美帆を職場に復帰させ、私は、昼間、毎日、M中央病院へ通うという生活の見通しをつけた。
 美帆は、これまで、麻衣子の看病を頑張ってしてくれた。私は自分の預金から、納入期限が近づいていたマンション代金の中間金500万円をハウスメーカーに送金した。