麻衣子の記録 連載第37回

7月11日(土)
10:20 病室へ。弱々しく感じるが、落ち着いて寝ている。口の中をきれいにしてやろうと、スポンジのブラシを口の中に入れたら、そのスポンジに含まれている水を飲んでいる。喉が渇いていたのかもしれない。薬が効いて来たのか、喉を鳴らして眠りに入りそうだ。穏やかだ。とにかく、私はそばにいてあげる。私にはこれしかない。麻衣子の病気は、いわば、超特急アルツハイマー病ともいうべき残酷な病気なのだ。
11:10 口を開けて眠ってしまった。こうして、やがて、昏睡状態に移行していくのだろうか。でも、穏やかに眠るように、病気が進むならそれもいいだろう。
11:15 目を開けた。「明日は麻美が来るよ」と声をかけ、頬に触れた。眠るように安らかに天国に行ってほしいと思った。本当にそう思った。
13:50 おむつ交換、体位変換。発作がある。
14:20 鼻息と喉をならす発作が続く。麻衣子の様子が少し変化してきているように思う。この病気はいつまで、麻衣子を苦しめるのだろう。15時頃まで、苦しい発作が続いた。
16:00 少し前から、麻衣子は落ち着いていたが、早めに、薬を飲ませた。点滴がちょっと逆流して血液が見える。美帆が来たので、麻衣子を美帆に任せて、私は先に病院を後にした。
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 「薬を飲ませる」、「乳酸菌飲料を少量飲ませる」、「水を少量飲ませる」等の記述があるが、その際には、いずれも、2.5mlのシリンジ(針なし注射器)を使っている。
 
7月12日(日)
 朝、麻美から電話があった。飛行機に乗り遅れたらしい。
9:30 麻衣子の病室にはいる。元気がない。夜、発作に苦しめられたのか、歯が真っ黒だった。歯を食いしばって、出血したのだろう。まず、はじめに、スポンジ歯ブラシで、歯をきれいに。やはり、スポンジに含まれた水を飲んでいる。リップクリームを唇に塗ってやったら、麻衣子の表情は生き返った。私のうれしいひとときだ。麻美が来られなくなったので、前半の付き添いは私で、後半は美帆と予定を変えることにした。2人で一緒に麻衣子のそばにいるより、リレー形式で長い時間、家族の誰かがそばにいる方がいい。
10:15 麻衣子はすやすやと眠っている。
10:20 目を覚ましたので、少量のお茶を飲ませる。まだ、私には、麻衣子の口の動きや表情を見て、水を欲しがっているのか、そうでないのかを見分けることができない。
11:10 すやすやと眠っている。時々、目を開けるが、穏やかな表情なのでほっとする。
11:20 発作があった。頭と指先が動く。不安な表情、恐れた表情だが、それほど激しくはない。発作が治まると、いびきが少し聞こえた。私が病室に入ってから、看護師さんはまだ一度も来ていない。昼食の準備が始まるようなので、忙しいのだろう。麻衣子は口を開けて眠っている。
11:35 お茶を飲ませようとしたが、あまり飲もうとしない。
11:45 時々、顔や手に触れてやる。
12:45 麻衣子はとても落ち着いている。あどけない顔で天井を見つめているように見える。あくびのひとつなのか、「ウッフ、ウッフ、ウッフ」と声を出した。
 隣の個室から、おばあさんの声が聞こえた。認知症の患者のようだ。
「お願いします。ドアを開けてください。家に帰りたいんです。嫁にここに閉じ込められているんです。お願いします。早く、家に帰してください。そうでないと困るんです」
 何度も、何度も、同じ言葉を繰り返している。そして、ときどき、ドアをどんどんたたく。足で、たたいているようだった。ベッドか、椅子に拘束されているのだろうか。看護師さんがやってくる様子はない。いつものことなのだろうか。あまりに、ドアをたたくので、ようやく、看護師さんがやってきて、おばあさんをたしなめているようだった。
 別の部屋からも、「助けてください」という、男の人の声が聞こえた。そんな周りの声に、麻衣子は一切、無関係だった。
13:10 ちょっと苦しいびっくり反射。手のほかに左足も動く。
15:05 目がピクピクと、頭部に発作は来ているが、それほどひどくない。もうすぐ、夜の薬が届くだろう。
15:10 おむつ交換。
15:30 発作。でも表情は弱々しい。だんだん、発作も体も弱まっていくのかもしれない。それは悲しいことだ。看護師さんが来て、麻衣子の病状をよくわかっていますねと感心された。
15:40 足が動く発作があった。でもすぐに治まった。
15:45 天井を見つめているようにも見える。でも、目は見えてはいないだろう。「ウッフ、ウッフ」と声を出している。右手を動かしている。麻衣子の苦しみを最後まで見届けるのが、私の役割なのだろう。
16:00 美帆が来る。薬を飲ませる。
16:45 痴呆顔の発作がある。
17:00 発作。舌を歯にはさんで苦しそうな息をしている。美帆にバトンタッチして、団地に帰る。
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 以前は感じなかったのに、今は、スーパーマーケットに入るとき、どうしようもなく寂しく、惨めな気持ちになる。とてもつらい。
 美帆は21時20分ごろ、家に戻ってきた。