麻衣子の記録 連載第36回

7月8日(水)
 朝、9時に家を出て、9時40分ぐらいに病院に着き、夜7時頃に病院を出て、家に戻るという生活が始まった。以前と違って、夜間は自宅でゆっくり休むことができた。早く、この生活のリズムに慣れなければと思った。これまでとは違って、私一人で、麻衣子の付き添いをするという新しい生活の始まりでもあった。心細くもあったが、私が麻衣子の看病をしなければ、誰もやってくれる人はいない。一刻も早く、新しい生活に慣れることだ。
 環境が変わったのを、麻衣子は感じただろうか。今、麻衣子はどんな世界にいるのだろうか。
 
私から麻美へ
M中央病院で運良く、個室を確保できました。2週間後には、一般病棟から療養型病棟へ移動する際は、個室が少ないので確保は難しいと思います。ママには、できるだけ快適な場所で過ごさせたいと思います。それが、私たちが最後にママのためにできることです。
 
 電極が胸につけられた。ダイナスコープが置かれた。
 
7月9日(木)
18:42 右腕、右手人差し指、左腕が少しピクピクしている。口を開いて、少しゆがめている。比較的、落ち着いた様子だ。
 ベッドに取り付けられている表示を見ると、主治医は院長、診療科は整形外科だった。この病院には、麻衣子の病気の専門の医師はいなかった。ただ、麻衣子の大学病院での主治医が、この病院で行っている外来診療のために、毎週火曜日にやってきていた。そのつてで、麻衣子は、ここに転院になったのだろう。そして、その医師は、診療が終わった夕方、麻衣子の様子をいつも見に来てくれた。
 
7月10日(金)
私から美帆へ
12時30分に、病室に着いたら、お義母さんが来ていました。孝史さんも来てくれるそうです。今日は付き添いが多いので、美帆は明日の方がいいと思います。今日も、午後、発作が激しかったので、午後4時半に薬を飲ませました。今はすっかり落ち着いています
 
 
家内が入院してから、57日目になります。競走馬のトレーニングセンターのある街の病院へ転院して、4日目です。この病院には、認知症のお年寄りの患者が多く、大学病院とは様子が大分違います。自宅から車で40分ぐらいあります。ここは夜間の付き添いはしなくて良いので、毎日、日中は頑張って通いたいと思います。