麻衣子の記録 連載第76回

9月23日(水) 秋分の日
9:15 麻衣子の病室へ。麻衣子は眠っている。喉のネバネバをとる。
9:55 乳酸菌飲料を少量飲ませる。
10:08 喉のネバネバをとる(大量)。
10:15 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。
10:20 発作だろうか、歯ぎしりしている。
10:46 検温36.7度
11:00 看護師さんによる口腔ケア。麻衣子が歯を食いしばっていて、歯の裏側がきれいにできなかったという。
11:45 目と頬がピクピク。パチパチと音がする発作がある。音は、歯がぶつかる音か?
12:15 しばらく前から、眠っている。
12:50 目を覚ました。
13:35 喉のネバネバをとる(特に左奥)。
14:10 喉のネバネバをとる。透明なものが大量に。
15:07 お昼頃から、生気のない表情なので心配したが、元気な表情になった。
15:10 喉のネバネバをとる。
15:25 担当者によるおむつ交換、体位変換
16:10 喉のネバネバをとる。
16:50 首が横に揺れる発作。 
17:00 薬を飲ませる。
17:05 検温36.9度。
 
9月24日(木)
9:50 麻衣子の病室へ。熱があるためか、氷枕をしている。 
10:00 薬を飲ませる。看護師さんによる口腔ケア。 
10:50 検温37.3度。氷枕から冷やし枕へ。今日はお風呂に、入れてもらえるか?
12:00 乳酸菌飲料を飲ませる。
15:20 お風呂に行く。
16:15 お風呂から帰ってきたので、乳酸菌飲料を飲ませる。
17:00 検温37.5度
17:20 体が揺れている。発作だろう。もうすぐ薬が来るはず。
17:55 薬を飲ませる。
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 今朝は燃やせないゴミの日だった。不要になったノートパソコン、フィルムスキャナー、押し切り、A-ライド、ゴミ箱、大きな缶などを捨てた。明日は燃やせるゴミの日。解体したデスクの残りなどを捨てよう。
 買い物リスト・・・段ボール、クッション材。カセットコンロ、掃除機、レンジ台と炊飯器台、小さな食器棚、フライパン、鍋、包丁、お風呂の掃除セット、トイレの掃除セット、台所の洗剤やスポンジ、衣料洗剤など。
 
9月25日(金)
 朝、不動産屋へ。私の銀行預金の残高証明書を届けた。
9:55 麻衣子の病室へ。氷枕はしていない。すでに、看護師さんが朝の薬を飲ませてくれていた。
10:00 喉のネバネバをとる。黒くなっていた歯をきれいにしてやる。顔をきれいにする。
10:50 私がコーヒーを飲みながら、おにぎりを食べていると、麻衣子も口をモグモグと動かしている。匂いでも、感じているのだろうか。そういえば、大学病院にいる頃、麻衣子が「五感があるからね」と言っていたのを思い出した。私は、おにぎりを食べ終えてから、窓を開けて空気を入れ換えた。
12:00 口をすぼめて、右足収縮発作。 
12:30 目がピクピクする不随意運動。「あーん、あーん」と声を出している。苦しいようだ。
13:15 検温37.9度。氷枕になる。
15:15 熱のために苦しいのか、喉がすっきりせず苦しいのか、ずっと、「うーん、うーん」とうなり続けている。
17:15 薬を飲ませる。熱は大分ありそうだ。
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 買い物リスト・・・A3ノビ用インクジェットプリンタ、突っ張り棒

麻衣子の記録 連載第75回

9月21日(月) 敬老の日
9:15 麻衣子の病室へ。顔を拭いてきれいにする。
9:30 おしっこでぬれたため、シーツ交換。
9:45 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。
10:05 発作で体が揺れる。
10:40 検温36.6度
 
9月22日(火) 国民の休日
 朝、麻美と一緒に病院へ行った。病室で、麻衣子の朝の様子をみせた。喉のネバネバをとったり、乳酸菌飲料を飲ませたり、顔を拭いたりするところなどを見せた。
 麻美を通じて、美帆に麻衣子名義の預金の内容について、その詳細を明らかにしてくれと、しつこく催促した。やっと、美帆は、私と麻美に、麻衣子名義の資産のリストを見せてくれた。資産の総額は、大体、私が想像していた金額とそれほど違わなかったが、たくさんの銀行口座や証券、保険の詳細を、このとき初めて知った。美帆は、相続の後の3人の税金の額まで細かく計算していた。さすがだ。
 これらの資産は確かに麻衣子名義だが、本来は私と麻衣子の共有財産だ。私が毎月渡す生活費で家族が暮らし、麻衣子の給料はその多くを貯蓄するということで築いた財産だ。それは、私と麻衣子の老後の家や生活のためのものであって、パラサイトである美帆には全く関係のないお金だ。
 このリストの通りだとすると、仮に、法定相続したとしても、美帆は保険金と合わせても1000万円しか受け取れない。第一、麻衣子の入院が長引けば、マンションの完成までに、このお金すら手にすることができない。マンションの残金は、2356万円もある。どうやって払うつもりだ。これだけの麻衣子名義のお金があるし、麻衣子は美帆のために、マンションを買うことを決めたのだから、私に、お金を出してくれと言うのだろうか。でも、そうはいかない。もう遅い。今、私が持っている現金はこれ以上出せない。まして、麻衣子の入院がいつまで続くのかわからないのだから。
 私がマンション資金のために麻衣子の預金から引き出してプールしていたお金の意味合いは私にとってはすっかり変わった。それは、私が自分の預金からマンション購入のために、すでに、支出した1150万円の補填でもあるし、私が毎月支出している麻衣子の入院費のための資金だ。美帆には、私が麻衣子のお金を横領しているとまで言われた。夫婦の間で、横領罪なんて成立するはずがあるものか。
 美帆は、「母さんが自分のために考えてくれたマンションだ」と、何度も私に言った。私と麻衣子は、娘に、おもちゃを買い与えるように、マンションをポンと買ってやれるほど、大金持ちなんかじゃない。私は自分が住むことのないマンションに、今後一切、自分のお金を出さないことに決めた。
 麻衣子を麻美と美帆に任せて、私は団地に戻った。

麻衣子の記録 写真編27

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 病院からの帰り道、ホームセンターで段ボールを少しずつ買ってきては、夜中に、引っ越し荷物の荷造りを続けた。私は、とにかく必死だった。やがて、団地の小さな私の部屋には、引っ越しのための段ボール箱が天井まで、たくさん積み上がった。私は、そのわずかな隙間に、布団を敷いて寝た。地震が来たら危ないなと思った。(2015年9月18日)

麻衣子の記録 連載第74回

9月18日(金)
10:10 朝、不動産屋へ寄ってから、病院に向かったので、麻衣子の病室に入ったのは、この時間になってしまった。すでに、朝の薬は看護師さんが飲ませてくれていた。看護師さんによる口腔ケア。口の中のネバネバをとる。
11:38 少し、体が揺れている。収縮発作。
13:00 義母が来る。
16:00 義母が帰る。
17:10 検温37.5度
17:45 喉のネバネバをとる。レモン水を飲ませる。下顎が動く発作があった。
       ・・・・・・・・・・・・・・
 朝、不動産屋へ寄って、残高証明書を届けた。麻衣子を義母に頼んで、午後1時に、再び、不動産屋へ行き、正式契約をした。もらったアパートの図面を見て、照明器具、ガスコンロ、エアコンがある場所の確認、洗濯機置き場のサイズ、冷蔵庫置き場のサイズ確認をした。
 病院からの帰り道、ホームセンターで段ボールを少しずつ買ってきては、夜中に、引っ越し荷物の荷造りを続けた。私は、とにかく必死だった。やがて、団地の小さな私の部屋には、引っ越しのための段ボール箱が天井まで、たくさん積み上がった。私は、そのわずかな隙間に、布団を敷いて寝た。地震が来たら危ないなと思った。
 
9月19日(土)
9:35 麻衣子の病室へ。喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。顔をきれいにした。元気そうで安心した。
10:00 薬を飲ませる。検温37.7度。氷枕になる。
11:00 看護師さんによる口腔ケア。
11:50 喉のネバネバをとる。
13:20 担当者によるおむつ交換、体位変換
13:40 喉のネバネバをとる。
14:35 口、唇を開く。発作だろう。足も動いている。  
15:35 首をリズミカルに左横に振る。発作だろう。
15:45 検温36.8度
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 新しい生活に必要なもの・・・ラグ3枚、ガスコンロ、電灯、座卓、パソコンデスク、TV、タオル、ティッシュ、トイレットペーパー、ゴミ箱、台所のゴミ箱、洗濯機、冷蔵庫、掃除機、食器、包丁、まな板、ボール、お風呂用品、洗面用品。
 捨てる物・・・HDに転送済みのミニDV、DVD、カセットテープ、MD、本、洋服など。
 
9月20日(日)
9:15 麻衣子の病室へ。
9:25 薬を飲ませる。
9:45 発作(しゃっくり)。苦しそうな表情を見せる。
10:10 薬が効いてきたのか、口を開けて眠り始める。
  ・・・・・・・・・・
 鳥取から帰ってきた麻美は今日から3日間、つくばにいる予定だ。麻美と美帆に麻衣子を任せて団地に戻る。タンスの中の自分の洋服を整理し、大部分を捨てた。

麻衣子の記録 連載第73回

9月16日(水)
9:35 麻衣子の病室へ。氷枕をしている。額が熱い。 
9:50 薬とレモン水を飲ませる。看護師さんによる口腔ケア。検温36.6度
10:15 下剤を飲ませる。
10:30 眠っている。
11:25 幸せそうに、すやすや眠っている。
11:30 目を開けて、歯ぎしりしている。
12:30 突然泣き出したので、レモン水を飲ませる。
14:00 検温37.4度。お風呂は明日に延期。冷やし枕で冷やしてもらう。ちょっと、発作あり。
14:45 喉をきれいにして、レモン水を飲ませる。
15:35 目ピクピクパチパチの不随意運動。
16:00 眼球運動が変だ。重力を失ったように横に流れる。それをリズミカルに繰り返す。その様子はちょっと怖い。眼球を支える筋肉のコントロールが難しいのか? 首の筋肉も弱々しい。最近は、発作が少ないので、薬が待ち遠しいというようなことはなくなった。
17:00 検温37.7度 
17:12 目と頬がピクピクする不随意運動。
17:17 薬とレモン水を飲ませる。
17:25 喉のネバネバをとる。 
18:30 眠り始めた。幸せの時。
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 朝、美帆に、「10月1日に、アパートに引っ越す」と宣言した。美帆は食後の歯磨きをしながら、驚いた様子も見せなかった。ただ、すぐに住民票を移されると、住居手当がもらえないので困るとだけ言った。そして、麻美が来たときに話し合いたいと言った。住居手当以外は何も言わなかった。私は、世帯分離(転居)はスムーズに進みそうだと思った。
 引っ越し後に必要な物・・・調理器、鍋、フライパン、炊飯器、ポット、洗い桶、ボール、皿、コップ、茶碗、箸、スプーン、包丁。
 
9月17日(木)
9:50 麻衣子の病室へ。目を開けてくれない。
10:05 薬とレモン水を飲ませる。
10:20 喉のネバネバをとる。
10:30 少量のレモン水を飲ませる。
14:10 お風呂へ行った。
15:00 お風呂から帰ってきた。点滴やバルーンが戻された。
15:37 「オワオワ」発作。おしっこが詰まるため、水の点滴。 
16:55 薬とレモン水を飲ませる。
17:05 検温37.2度
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 昨日の夜、麻衣子と結婚したときに購入した木製のライディングデスクを動かし、今朝、半分を解体した。この際、できるだけ、不要な物は処分しよう。身軽になって、新しい生活を始めようと思う。
 特別室が空になった。隣の個室も別の患者になった。特別室の老女は亡くなったのかもしれない。老女の体の状態が悪くなり、交替して、麻衣子が特別室から個室へ移ったのは8月5日だから、あれから、1ヶ月以上経過している。麻衣子はまだ、体の状態が悪くなったとは言われていない。安心してもいいものなのか。火曜日に来た大学病院のT先生は、「熱が出なければ」と言っていた。私が、「まだまだ元気でいられるんじゃないかな」と言ったら、そうでないという顔をした。麻衣子もラストステージに入ったのかもしれない。昨日の麻衣子の眼球の動きも気になる。年は越せないかもしれない。
 それでも、私は引っ越しを決め、再スタートの方向性を決めたから、とても気持ちは楽になってきた。

麻衣子の記録 連載第72回

9月14日(月)
9:30 麻衣子の病室へ。元気がない。枕から頭が落ちていた。喉をきれいにしたくても、口を開けてくれない。
10:05 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。検温で37.1度だったので氷枕になる。 
11:00 看護師さんに体を拭いてもらった。看護師さんによる口腔ケア。
12:05 口の中のネバネバをとる。
13:10 検温、血圧測定。熱はなし、血圧もOK。
14:50 喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。喉を鳴らしている。表情はとても元気だ。まだ半年は大丈夫だろう。
15:10 喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。
16:40 収縮発作がある。
17:45 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。 
18:35 喉のネバネバをとる。
     ・・・・・・・・・・
 今日の麻衣子は元気で、穏やかだった。発作もほとんどなかった。
 朝から晩まで、病室で過ごす毎日。だから、看護師さんに、昼食はどうしているのですかと聞かれた。最初の頃、私は、病院内の売店でお弁当を買っていた。そのうち、途中のコンビニでおにぎりを買った。やがて、朝、自分で「おにぎらず」を作るようになった。
 昼食は、私の看護生活での楽しみの一つだが、10分もすれば終わってしまう。でも、それは幸福なひとときだ。それに比べて、ベッドの上の麻衣子は、見ることも話すこともできず、食べることもなく横たわっている。そして、時々、予期していない水分が、口の中に、突然、流れ込んでくる。どうみたって、これは拷問じゃないか。
 
9月15日(火)
9:50 麻衣子の病室へ。 
10:00 喉のネバネバをとって、薬を飲ませる。
11:00 シーツ交換が終わる。
15:00 義母と孝史さんが来る。
15:40 大学病院のT先生がくる。先生は「熱さえ出なければ」と言った。
16:52 歯をむき出すように、唇をピクピクとさせている。「あー、あー、あー」と声も出している。
17:30 薬を飲ませた。
18:50 眠り始めた。
       ・・・・・・・・・・・・・・
 今日は火曜日で、義母が来る日であった。でも、なかなかやってこなかった。ところが、意外にも、午後3時過ぎ、孝史さんと一緒にやってきた。麻衣子の弟の孝史さんは恐れたような、泣きそうな表情で、ベッドから離れたところで、麻衣子を遠巻きに眺めるだけだった。ついに、それにも耐えきれなくなり、30分もしないうちに義母と帰ってしまった。ずっと以前に来たときは、恐る恐る、指を一本だけ伸ばして、ちょっとだけ麻衣子の額に触れたが、今回は、それすらできなかったのだ。結婚する前は他人だった私と違って、たった一人の変わり果てた姉を見るのは、私よりも何倍もつらいのだろう。
 「ご主人は慣れていらっしゃるから。ご家族の方でも、怖がってしまう人が多いんですよ」と、看護師さんに言われたことがある。確かに、私は慣れているのかもしれなかった。私は、病虚弱の子供たち、知的障害の子供たち、肢体不自由の子供たちの教育に当たった経験があるし、ICUにいる、ほとんど無反応の子供の学習指導も担当した。脳に障害を受けると、人はどんな状態になるのかをよく知っていた。
 私は仕事柄、重度の障害者を持つ親とも深く関わった。親たちの子供に寄せる愛情には、いつも感心させられた。どんなに障害があろうが、大切な命なのだ。重い障害なのだから、生きている意味がないなんて、誰も考えもしないし、まして、そんなことを、言ったりはしない。
 孝史さんと同じく、美帆もまた、ただただ、病気の麻衣子が怖かったのだろうと思う。
 夜、麻美と電話で話した。美帆に対する苦しい胸の内を訴えたが、麻美には通じないようだった。だから、こちらから、電話を切った。

麻衣子の記録 連載第71回

9月12日(土)
9:30 麻衣子の病室へ。病室に入ったとき、麻衣子の顔色にびっくり。病状が急に悪化したのかと。顔を拭いてきれいにし、喉のネバネバ(大量)をとって、乳酸菌飲料を飲ませた。
9:40 薬を飲ませる。検温とおむつ点検。水薬を飲ませる。
11:30 義母が来た。また、美帆との関係について話す。引っ越しの件についても話した。
13:50 右足収縮発作。
15:00 目ピクピク、パチパチの発作。
15:30 喉のネバネバをとる。
15:50 目ピクピク、パチパチの発作。おむつ交換
     ・・・・・・・・・・
 
 引っ越しに必要な物品を書き出してみた。ガムテープ、荷造りクッション材、ふとん、ラグ、カーテン、テレビとテレビ台、洗濯機と洗剤、冷蔵庫、掃除機、座卓、食器入れ、清掃用具、鍋、炊飯器、フライパン、包丁、トイレットペーパー、タオル、バスタオル、シャンプー、石けん、お風呂セット、ゴミ袋、ポット、ドライヤー、食器。
 
9月13日(日)
9:30 麻衣子の病室へ。喉のネバネバをとる。右足の収縮発作のあと、顔を拭く、歯をきれいにする。鼻の穴の中をきれいにする。乳酸菌飲料を飲ませる。
10:08 喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。
10:40 薬を飲ませる。検温37.7度。氷枕になる。尿漏れがある。午後に、管の交換になるかもしれない。
11:17 薬が効いてきたのか、眠そうな顔になった。
11:28 「オワオワ」発作。眠っている時間が長い気がする。
13:48 目がピクピクする不随意運動。
14:30 尿採取の管の取り替え。
15:10 喉のネバネバをとる。泣くような声を出した。喉が苦しかったのかもしれない。
16:10 右足収縮発作。
16:20 全身収縮発作。
16:30 看護師さんによる口腔ケア。
17:05 検温37.5度。冷やし枕にしてもらう。
17:15 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。喉のネバネバを数回取る。
18:04 頬ピクピクの不随意運動。

麻衣子の記録 連載第70回

9月10日(木)
9:55 麻衣子の病室へ。
10:05 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。喉のネバネバをとる。
11:25 薬が効いているのか、眠っている。
11:29 上唇、下唇が動く発作がある。 
13:10 検温37.3度。血圧測定。おむつ交換。
15:05 両足収縮発作。喉の音。表情は笑顔。
16:15 足と目に現れる発作がある。
17:40 薬を飲ませる。 
17:45 口を結んで、喉が苦しそうな発作あり。
       ・・・・・・・・・・・・・・
 朝、団地から病院へ行く途中は、激しい雨で道路も渋滞した。病院近くになると、雨はあがった。常総市は台風による洪水で、その後、大変なことになっていた。病室で、私は、アパートの資料を見ていた。このところ、麻衣子の病状はあまり変化がなく安定している。その間に引っ越しを完了させようと思った。
 
9月11日(金)
9:30 麻衣子の病室へ。喉のネバネバをとる。
10:20 看護師さんによる口腔ケア。
10:40 検温37.2度。血圧は大丈夫。
11:00~15:00 不動産屋と銀行へ行く。
15:20 麻衣子の病室へ戻ってきた。
15:45 口の中をきれいに。ネバネバがたくさんあった。乳酸菌飲料を飲ませる。
15:50 強い右足収縮。声も出した。
17:15 熱が38度あるので、氷枕にしてもらった。 
17:40 喉のネバネバをとって、薬を飲ませた。
17:45 右足収縮発作。 
18:35 薬が効いて、眠くなってきたようだ。
       ・・・・・・・・・・・・・・
 今日は、午前11時に病院を抜けだし、みどりのへ行って、アパートの日当たり、周辺環境を見てきた。その後、窓口センターへ行って、印鑑登録をした。銀行で、自分の通帳の記帳と、預金の残高証明書発行の申請をした。そして、不動産屋に行って、賃貸物件を決定した。

麻衣子の記録 連載第69回

9月8日(火)
9:45 麻衣子の病室へ。喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。
9:55 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。
16:20 大学病院のT先生が来る。  
17:00 義母が帰る。
17:45 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。
17:55 右足収縮発作。
   ・・・・・・・・・・・・
 私と美帆は、同じ屋根の下に暮らしながら、会話はなくなっていった。どうしても伝えなければならないことは、LINEで鳥取の麻美を介して伝えるようになっていた。麻美にとっては迷惑な話だったと思う。特に、この時期は、私の精神状態は極めて不安定だったので、美帆のことで散々、麻美にぶちまけていた。
 
9月9日(水)
9:30 麻衣子の病室へ。頬がピクピクする不随意運動。パチパチと音も聞こえる。薬と乳酸菌飲料を飲ませる。
9:50 検温37.2度 
10:00 喉のネバネバをとる。右足収縮発作。
10:15 看護師さんによる口腔ケア。頬ピクピクの不随意運動。
11:00~14:30 病院から外出し、みどりの駅近くのアパートの場所の確認に行った。そして、どれにするかを決めた。決めた理由は、外観がモダンだったからだ。それが、ちょっとした博物館の外観のように見えたからだ。
 私は、2LDKの一室(6畳)を、麻衣子記念室にしようと考えていた。麻衣子の写真パネルを飾り、看護日記を置き、大きなタブレットには麻衣子の写真をたくさん入れて、クロイツフェルト・ヤコブ病の資料も展示する。それを、麻衣子の友達が来たときに見てもらう。麻衣子は「この病気から生還したら、体験記を書きたい」と言っていたので、私は、そんなことを漠然と考えていたのだ。
14:30 麻衣子がお風呂から戻ってきた。喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。
15:15 喉のネバネバをとる。 
15:22 笑顔だが、発作のようだ。
16:30 喉のネバネバをとる。
17:00 乳酸菌飲料を飲ませる。検温37.0度
17:15 右足収縮発作。足先が動く。口を尖らせた。
17:33 目がピクピクの不随意運動。足も動く。
17:40 薬を飲ませる。乳酸菌飲料を飲ませる。水も飲ませる。
18:36 眠そうな表情になった。
18:43 おむつ交換(出ていないようだ)。

麻衣子の記録 連載第68回

9月6日(日)
 私は団地から一刻も早く引っ越そうと、動き出した。看護師さんに、「今後、途中、病室を抜けだすことがあります」と伝えた。
 午前中に、研究学園駅前の不動産屋へ行って、資料をもらってきた。午後には、万博記念公園駅近くの物件の環境を見に行ってきた。
15:30 麻衣子の病室へ戻った。喉のネバネバをとってやる。穏やかな表情である。
17:10 検温37.0度。血圧は、下が高い。喉のネバネバをとる。
17:20 薬を飲ませる。乳酸菌飲料(いつもより、量は多め)を飲ませる。
18:35 喉のネバネバは黒っぽい塊になっていた。
18:43 やっと薬が効いてきたようだ。
 
私から麻美へ
研究学園駅前の不動産屋で、一人暮らし向けの賃貸マンション・アパートの資料をたくさん貰いました。もう一軒の不動産屋へ行こうと予定していましたが、そこで、尋ねようとした物件も扱えるというので、不動産屋はここだけにします。入居には年金受給額証明が審査の資料になるそうで、足りない場合は銀行預金のわかるものが必要だそうです。預金はたくさんありますし、不治の病の家内が亡くなると、私は大金持ちになるので、家を買ってもいいんだと豪語しておきました。それから、家内を亡くした後、精神的に立ち直れるように早く引っ越したいんだなど、私の重要な個人情報を、不動産屋の若い担当者にべらべらしゃべってしまうほど、私の精神状態は狂っています。落ち着かなければと反省しています。
 
麻美から私へ
とにかく聞いて欲しいという気持ちが強いのでしょう。いいところが見つかるといいね。焦らず決めてください。
 
9月7日(月)
9:40 麻衣子の病室へ。喉のネバネバをとる。顔を拭いてきれいにする。
10:05 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。喉のネバネバをとる。
12:45 目がうつろ。右足収縮、右上半身が動く発作。
12:55 笑顔で、頬がピクピクする不随意運動。
13:00 大きく口を開ける発作、下唇も動く。検温37.5度。
13:17 担当者によるおむつ交換、体位変換
13:50 口を開く発作。「へっ、へっ」と声を出す。目は天井を向いている。
14:30 喉をきれいにした。口を結んで、尖らせている。
15:30 喉から、音を立てていたので、ネバネバをとった。「オワオワ」発作。
17:00 大きなくしゃみをしたので、タオルケットを一枚増やした。
18:00 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。
 
 私は今後、どう立ち直っていけばいいのか? 麻衣子と美帆の件のダブルパンチ。「配偶者を失うと、立ち直りに、4年はかかる」と姉に言われた。「介護鬱にならないように、母のあとを追うように亡くなった父と同じにならないように」とも言われた。

アイスチューリップ

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 6月に掘り起こしたチューリップの球根を夏の間、2ヶ月間ほど冷蔵庫に入れておいた。

 そのチューリップを10月1日に鉢に植えたが、それがだいぶ成長してきた。

 以前は、ミラクルチューリップの球根を注文していたのだが、最近は、自分で冷蔵処理し、アイスチューリップ作りに挑戦している。

 はたして、冬の間に、きれいに花を咲かせてくれるかどうか。

麻衣子の記録 写真編26

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 昨日の夜、美帆が、夫のご両親から私へのお歳暮だという立派なリンゴを届けに来てくれた。

 小説「麻衣子の記録」については、まだ、美帆には内緒にしている。

 いずれ、知ることにはなるだろう。

 そのときは、ちょっとだけ、ふたりの関係は険悪になるかも知れない。

 帰り際、美帆に、ご両親の好みのものを適当に見繕って届けて欲しいと言って、お金を渡した。

 それから、私が夏に庭で育てたトウモロコシをゆでて冷凍したものと、美帆の好物のチョコレートを持たせた。

麻衣子の記録 連載第67回

9月4日(金)
9:45 麻衣子の病室へ。喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。
10:00 薬を飲ませる。
12:30 麻衣子がくしゃみをした。
12:55 検温37.0度。看護師さんが、たまには、環境を変えるといい、視界を変えるといいと言って、車いすに乗せてくれた。私は、麻衣子と、しばらくの間、廊下で過ごした。車いすに乗って、中庭に面した明るく広い廊下に出ると、麻衣子のやつれた顔が、むしろ、際立った。だから、看護師さんが写真を撮りましょうかと言ってくれたが、お断りした。でも、私は、麻衣子だけの写真を撮った。
14:45 声を出している。元気になったのかな。
15:35 両足収縮発作があった。
16:40 薬と乳酸菌飲料を飲ませる。
 
9月5日(土)
9:30 麻衣子の病室へ。口の中のネバネバをとる。ブラシを咥えて放してくれない。ベッドを起こさず、むしろ、仰向けの時の方が、口を開けてくれると思った。
10:15 検温36.7度
10:20 看護師さんによる口腔ケア。
 鳥取から帰省していた麻美に麻衣子を任せて、私は団地に帰った。姉と弟と会うためであった。
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 午後4時、笠間市に住んでいる姉と弟が、団地まで来てくれた。話すのはあくまで、麻衣子のことで、美帆の件は話題に出すまいと思っていたが、麻美が「美帆の件で団地に来るのですか?」と、姉のところに電話をしてしまったので、私は、それを避けることができなくなってしまった。現在の状況をありのままに、姉と弟に話した。私たちは、姉弟それぞれが家庭に悩みを抱えていた。むしろ、私の悩みが一番幸せな悩みかもしれないと思った。
 姉は、涙ながら、先に逝く麻衣子は幸せだと言った。
 私の母が病気で入院していたときの看護の中心は姉だった。父には小売商の仕事があったためでもあるが、私と弟は姉の指示に従って、母の看護にあたった。私は、そのような姉を見ていたので、娘が病気の母親の看護の中心的役割を果たすのが普通だと思っていた。
 麻衣子も、自分が病気になったことで、義母の世話を受けることになり、ある時、「どっちがどっちの看護だか?」と漏らした。
 麻衣子にとって、義母と私を残して先に逝くというのは、一番つらいことだったと思う。
 姉と弟は、私と美帆の件では、とりあえず、冷却期間が必要、離れて暮らすのは良いことだと言ってくれた。
 麻衣子は寿命だったのだ。姉の言うように、短かったけれども、幸せな人生だったのだ。そう考えることが、麻衣子にとっても私にとっても良いのだと考えようと思った。
 そう考えると、以前より、気持ちが楽になってきた。今、私がすべきことは、麻衣子を大事に大事に看病して、穏やかに天国に送り届けることなのだ。

麻衣子の記録 連載第66回

9月1日(火)
9:55 麻衣子の病室へ。薬と乳酸菌飲料を飲ませる。
17:20 大学病院のT先生が来る。
17:45 足の収縮発作。
18:00 薬を飲ませる。
18:40 両足収縮発作。
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 毎週火曜日には義母が来てくれる。午前中に来た義母と、美帆のことで、話をする。長々と、麻衣子の枕元で、私の思いを聞いてもらった。私は、少しすっきりした。義母は、笑いながら帰った。
 
9月2日(水)
9:40 麻衣子の病室へ。喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。薬を飲ませる。顔をきれいにする。
9:55 麻衣子は目を閉じている。
10:00 体が揺れる発作。
10:05 看護師さんによる口腔ケア。
10:30 笑ったような、頬をピクピクさせる不随意運動。
10:45 「オワオワ」発作。
13:00 検温、熱はない。今日のお風呂はOK。
13:50 お風呂に行った。
14:30 お風呂から帰ってきたので、喉のネバネバをとって、水を飲ませる。
17:40 両足収縮発作。
17:45 薬を飲ませる。
 
9月3日(木)
9:35 麻衣子の病室へ。麻衣子は目を閉じて、口を開けていた。喉のネバネバをとって、水を飲ませた。顔をきれいにする。いい表情になった。
10:00 薬を飲ませる。  
10:45 喉を詰まらせたようだ。喉を刺激してやる。喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。
10:51 体重測定32kg。
11:10 検温37.6度
11:45 眠っている。目のあたりで発作か。喉から「あっ、あっ」という音も出している。
12:00 口をモグモグしていたので、乳酸菌飲料を飲ませる。 
13:00 担当者によるおむつ交換、体位変換
13:05 喉のネバネバをとる。
13:35 両足収縮発作。
13:40 喉のネバネバをとる。
13:45 だらしなく口を開けていたので、また、喉のネバネバをとってあげた。
13:55 上半身と下唇が動く発作。
14:10 喉のネバネバをとる。
14:38 喉のネバネバをとる。
16:30 喉のネバネバをとって、乳酸菌飲料を飲ませる。
17:15 薬を飲ませる。乳酸菌飲料を飲ませる。
17:45 落ち着いた。薬のせいかな?
18:03 両足の収縮。体も揺れている。
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 若い看護師さんが、「今、どんな世界にいるんでしょうね」と言った。それは、いつも私が考えていることでもあった。私は、こう答えた。「それは、本人にしかわからないし、もし、奇跡が起こり、病気が治ったとしても、どんな世界であったかは覚えていないでしょう。記憶をとどめるべき脳が壊れていたんですからね。脳梗塞から回復した人が、記憶が抜け落ちているのと一緒ですよ」

麻衣子の記録 連載第65回

8月31日(月)
9:40 麻衣子の病室へ。シーツ交換のため、すぐには病室には入れず、ちょっと待つ。病室に入って、まず乳酸菌飲料を飲ませる。それから、喉のネバネバをとる。大量の固形物があった。これでは眠れないだろう。喉をきれいに、顔をきれいにしてあげた。
10:25 良い表情で眠っている。うれしい。「オワオワ」。唇と足が少し動いている。
10:30 検温37.0度
10:45 口の中がすっきりしたのか、良い顔ですやすや眠っている。看護師さんが口腔ケアと顔をきれいにするために来てくれたが、麻衣子が口を開けてくれないと私に言った。
11:00 薬を飲ませる。
11:08 怒ったような顔で、口を結んで歯ぎしり。鼻息が荒い。発作の一種だろう。「ぷっ、ぷっ、ぷっ」と声を出し、怒った表情を見せている。
11:15 喉のネバネバをとる。乳酸菌飲料を飲ませる。
13:00 検温37.1度。おむつ交換。
14:10 右足収縮発作。 
14:23 喉のネバネバをとる。
15:43 麻衣子が泣いている。私と美帆との争いを嘆いているのかな。
16:55 喉のネバネバをきれいにする。水を口に入れてやると、麻衣子は、飲み込まず、口に咥えたままだ。
17:30 両足収縮発作。
18:15 薬を飲ませる。
18:35 目ピクピクの不随意運動。続いて、喉を鳴らしている。
       ・・・・・・・・・・・・・・
 美帆が職場復帰してから、もう、麻衣子の看護は事実上、私一人の仕事になった。しかも、義母は孫のかわりに、1週間に1度、行ってあげるなんて言うから、麻美や美帆は、だんだん、来る回数が少なくなっていった。麻美は鳥取からだし、美帆だって、転院直後は週末に頑張ってやってきていたが、M中央病院は団地からかなり離れた距離にあり、来るのは大変だった。それに、仕事も大変だろうから、麻衣子に会いに来るのはそれなりの限界はあったろう。高齢の義母が、週に1、2度、来てくれるのはありがたかった。でも、麻衣子の弟は、高齢の母親が、車を運転して、埼玉からつくばへ行かせるのは心配だったらしい。
 私は、朝9時半から夜7時ぐらいまで、病院で過ごした。すっかり、朝の薬と夜の薬を飲ませるのが私の役割になっていた。他の人では、薬をうまく飲ませるのが難しかったのだ。朝の薬の時間までに病院に行って、最初に薬を飲ませる。その後は、ベッドのそばで付き添い、夕方、薬を飲ませ、寝入ったのを見届けてから、家に戻るという生活だった。
 美帆は、ことあるごとに、麻衣子に依頼されているので、私ではなく、自分の方が麻衣子の代理人だと言い張った。私は、大学病院から転院するとき、支払いに必要だからというので、麻衣子の保険証や免許証を美帆に渡してしまった。それ以後、何度話しても、返してくれなかったのである。私の実印とか麻衣子の預金通帳ならまだいい。M中央病院にいつもいるのは、私なのだから、私が保険証を持つべき必要度が一番高いのだからと言っても、受け付けなかった。
 麻衣子の付き添いを終えて、家に帰ると、美帆がお風呂で楽しそうに歌を歌っている。それは、母親が病気で苦しんでいるのを忘れてしまっているかのように思えた。次第に、私は、娘が作って冷蔵庫に置いてくれた朝食や夕食には手をつけなくなった。夜は、病院からの帰りに、食べ物を買って、家に帰り、自分の部屋に直行し、そこで、食べるようになった。ほとんど、会話を交わさなくなり、美帆とは家庭内別居の状態になっていた。大学病院で麻衣子の介護で、24時間体制で互いに協力し合っていたあの頃の二人の関係ではなくなっていた。
 決定的な破局は、些細なきっかけから始まった。美帆がLINEで私に、「まだ、今月、父さんから生活費をもらっていない」と書いてきたのだ。入院前、麻衣子が目が不自由な状態だからと、私は、我が家の生活費のうちの私の負担分を、半年分先渡ししていた。しかも、麻衣子の預金通帳はすべて、美帆が持っていて、その詳細を私は知らない。
 私より、ずっと収入が多いのに、我が家の生活費を一切負担しないでいる美帆の口から、「生活費をもらっていない」という言葉が出てきたのには驚いた。家賃や光熱費などは、すべて、麻衣子の口座から引き落とされている。麻衣子の入院費用は私が用意している。それらに較べれば、二人の食費など、たかが知れている。それでも、お金が足りなくて、私にもっとお金を出せというのだろうか。
 以前、こんなことがあった。大学病院で、交替で看護に当たっていた6月のある日、夜間の付き添いを終えて、昼間、家に戻ってみると、テーブルの上に、私に見せようとしたのか、ある冊子のページが開かれていた。それは、遺族年金についてのページだった。美帆は、麻衣子が亡くなった後、私が自分の年金に加えて、遺族年金ももらえると思っていたらしい。美帆は麻衣子が亡くなった後の私の収入を細かくチェックしていて、私には十分なお金が入るのだから、そのお金で生活しようと考えていたのかも知れない。
 私は、「1人でひとつの年金が原則」ということがわかる資料を、そのページの上に載せておいた。
 美帆は、新しいマンションで、わずかな年金収入の私から生活費を受け取って、相変わらずのパラサイトを続けるつもりなのだろうか。
 もう、こんな娘とは、一緒にはいられない。私はそう思った。
 私の美帆に対する現在の気持ちをわからせようと、美帆に言った。「麻衣子の物はすべて置いて、団地から出て行ってほしい」と。それは、激しい内容だった。でもそれぐらい言わないとわかってくれないと思ったのだ。そう強く私が出れば、驚いて、私に謝り、麻衣子の物を私に返してくれるものと信じこんでいたのだ。しかし、私の予想は外れた。この言葉は全く通じなかった。美帆は、自分は、世帯主である麻衣子から認められて、この家にいるのだから、出て行かないと言い張った。その世帯主というのは、私が退職し、住居手当がもらえなくなったので、かわりに麻衣子にもらってもらおうと、私が提案し、便宜的に私から麻衣子に変更したにすぎなかったものだ。今は、その麻衣子のかわりに、自分が世帯主だと言わんばかりだった。とうとう、私は娘に馬鹿にされるような、どうしようもなく情けない父親に成り下がっていたのだった。
 私は、ついに、決心した。娘が出て行かないなら、私の方が、出ていく、アパートに引っ越すと。
 それからの私は、ひたすら、それを実行するだけだった。まず、ネットで賃貸アパート・マンションを調べ始めた。自分の荷物だけを車で運べるような、近くのアパートで、病院からも遠くないところを探した。そして、私は、研究学園駅前の不動産屋の戸をたたく。私の精神状態は普通ではなかった。自分でもそれとわかった。