麻衣子の記録 連載第86回

10月12日(月) 体育の日
10:00 麻衣子の病室へ。氷枕の他に、タオルで額を冷やす。
11:52 検温38.2度、テルモ38.47度
12:40 テルモ38.30度
13:41 テルモ37.87度
13:50 歯ぎしりをしている。熱が、午後から下がってきて、穏やかな表情になって、うとうとするようになった。
14:04 テルモ38.07度
14:31 テルモ37.74度 
14:49 テルモ37.84度
15:18 テルモ37.38度
16:15 テルモ37.03度 
17:15 テルモ右腋37.16度、左腋37.52度、オムロン37.6度
 
10月13日(火)
9:45 麻衣子の病室へ。 
9:51 検温38度  
10:25 薬を飲ませる。口の中を綿棒できれいにする。
11:13 テルモ37.78度
11:38 テルモ37.78度
12:05 テルモ37.98度
12:35 テルモ37.65度
13:11 オムロン38.0度 
13:57 オムロン38.3度 
14:35 オムロン38.8度 
16:44 オムロン39.2度 
16:47 オムロン38.5度 
17:10 検温38.4度  
17:53 オムロン38.5度 
 ・・・・・・・・・・・
 午前中は、熱で苦しむこともなく、眠っていることが多かった。午後になると、38度の熱を出し、「うーん、うーん」とうなり声を出していた。
 夕方、大学病院のT先生が来た。T先生は、「発熱は脳の体温調節機能が冒されているためだろう」と言った。つまり、殺人プリオンは生命維持に必要な脳細胞まで冒し始めたということだ。
 毎週火曜日は義母が来る日でもあり、T先生が病室に寄ってくれる日でもあった。だから、火曜日は、義母はT先生に会ってから帰ることが多かった。義母は、次は17日(土)に来ると言って帰った。
 昨日、今日と私の体調は良くなかった。

麻衣子の記録 連載第85回

10月10日(土)
10:05 麻衣子の病室へ。熱があるので、氷枕をしている。額は熱いが鼻の頭は冷たい。額をタオルでも冷やす。
10:22 テルモ38.51度
12:47 テルモ39.36度。高熱がピークに達すると、「うーん、うーん」と言う声を出さなくなる。声を出す力すらなくなってしまうのか。
13:15 おむつ交換、体位変換
13:18 テルモ39.12度
13:34 テルモ38.87度
14:03 テルモ38.62度
14:52 テルモ38.20度
17:50 薬を飲ませる。
 ・・・・・・・・・
 買い物リスト・・・ふきんかけ、洗剤、キレイキレイ、お菓子入れ、箸入れ、マイクロファイバー布巾と雑巾。
 
10月11日(日)
10:00 麻衣子の病室へ。
10:06 テルモ39.50度
11:43 テルモ39.59度
14:46 テルモ38.21度
15:32 テルモ38.18度
 夕方、美帆が来た。

麻衣子の記録 写真編29

f:id:KAMIRU:20201227025434j:plain

 病院から外出し、みどりの駅近くのアパートの場所の確認に行った。そして、どれにするかを決めた。決めた理由は、外観がモダンだったからだ。それが、ちょっとした博物館の外観のように見えたからだ。

 私は、2LDKの一室(6畳)を、麻衣子記念室にしようと考えていた。麻衣子の写真パネルを飾り、看護日記を置き、大きなタブレットには麻衣子の写真をたくさん入れて、クロイツフェルト・ヤコブ病の資料も展示する。それを、麻衣子の友達が来たときに見てもらう。麻衣子は「この病気から生還したら、体験記を書きたい」と言っていたので、私は、そんなことを漠然と考えていたのだ。(2015年9月9日)

麻衣子の記録 連載第84回

10月8日(木)
9:50 麻衣子の病室へ。氷枕をして眠っている。薬を飲ませる。オムロン37.9度
10:45 オムロン38.2度
11:15 オムロン39.2度
11:30 オムロン39.3度
11:45 オムロン右腋39.3度、左腋40.0度
12:30 オムロン右腋39.7度
15:10 オムロン右腋38.5度 
15:40 オムロン38.3度
15:50 口元がピクピク。発作かな。
16:50 オムロン38.2度
17:20 薬を飲ませる。
17:50 オムロン37.9度
18:00 眠り始めた。
 ・・・・・・・・・
 麻衣子は相変わらず、高熱を出している。原因はよくわからない。
 朝早くアパートへ行って、テーブルを組み立て、カウンター椅子も組み立てた。部屋らしくなってきた。夜、私はアパートで寝た。
 
10月9日(金)
9:50 麻衣子の病室へ。病室に入ってみると、麻衣子は氷枕をしていない。でも、額は熱かった。今日からテルモの体温計も使うことにした。口の中で測ったりもした。
9:55 テルモ38.27度 
10:25 テルモ37.59度
12:26 テルモ39.47度
13:57 テルモ38.61度
14:21 テルモ38.41度
15:32 テルモ38.00度。麻衣子のうなる声がなくなり、落ち着いてきた。
16:22 テルモ37.00度
17:22 オムロン37.9度 
17:30 薬を飲ませる。
18:00 テルモ37.08度
  ・・・・・・・・・
 日中は高熱、夕方になると下がってくる。
 アパートの部屋は大分片付いた。冷蔵庫、冷凍庫、洗濯機は独りで2階まで持ち上げることができるぐらい軽くて小さなものをネットで注文した。洗濯機はどうしても必要だ。コインランドリーというわけにいかない。おむつ交換の時に汚れた麻衣子のネグリジェは看護師さんが簡単に水洗いはしてくれる。でも、それを持ち帰って、私が洗濯しなければならないからだ。

麻衣子の記録 連載第83回

10月6日(火)
9:55 麻衣子の病室へ。熱は38.5度
10:30 義母が来る。検温。冷やし枕から氷枕に変わる。
 義母に麻衣子を頼んで、アパートへ戻った。正午から午後4時までの間に、ガス会社の担当者がガスの開栓をしてくれるので、それに立ち会うためであった。
 義母は午後3時過ぎに病室に寄ってくれた大学病院のT先生から、「肺炎ではない。熱は、2年も3年も続いたりしない」と言われたという。熱が何年も続かないというのは、その前に命が終わってしまうという意味だろう。
17:25 薬を飲ませる。
18:15 オムロン37.8度
18:35 オムロン37.5度
 
10月7日(水)
9:55 麻衣子の病室へ。薬を飲ませる。
10:00 検温37.6度
10:15 オムロン38.2度
11:15 オムロン38.2度
14:00 オムロン38.4度
14:20 オムロン38.5度
15:15 オムロン38.1度
16:05 オムロン38.1度
17:00 検温37.9度
17:15 薬を飲ませる。
17:25 発作。体が動いている。口も動いている。
18:05 オムロン37.4度。落ち着いている。
 ・・・・・・・・・・
 相変わらず、38度台の発熱が続いている。うなっているときも落ち着いているときもある。
 このような中で、私は、新しいアパートでの生活に必要なものを少しずつ揃えていった。小型冷蔵庫もアマゾンに注文した。
 買い物リスト・・・スポンジ、シャンプー、手洗い石けん、脱衣ワゴン、ゴミ箱、水切りかご。

麻衣子の記録 連載第82回

10月5日(月)
 早朝、アパートに荷物をいくつか運んだ。団地の2階の部屋から車まで運び、アパートに着いたら、やはり、2階まで持ち上げるのである。かなり、大変な作業ではあった。
10:00 麻衣子の病室へ。タオルで額を冷やす。
12:30 オムロン39.0度 
12:50 検温37.9度、オムロン38.8度
13:15 オムロン38.3度
13:45 オムロン38.5度
14:15 オムロン38.4度
14:45 オムロン38.4度
15:10 オムロン38.0度
15:30 オムロン38.3度
15:50 オムロン38.3度
16:20 オムロン38.2度
17:05 オムロン38.6度
17:15 薬を飲ませる。
17:25 オムロン38.2度
17:50 オムロン38.3度
18:20 オムロン37.3度。麻衣子は眠った。
 ・・・・・・・・・・
 麻衣子は高熱を出しているが、手や足は冷たい。手や足は温める処置が取られている。可哀想すぎる。
 
10月6日(火)
9:55 麻衣子の病室へ。熱は38.5度
10:30 義母が来る。検温。冷やし枕から氷枕に変わる。
 義母に麻衣子を頼んで、アパートへ戻った。正午から午後4時までの間に、ガス会社の担当者がガスの開栓をしてくれるので、それに立ち会うためであった。
 義母は午後3時過ぎに病室に寄ってくれた大学病院のT先生から、「肺炎ではない。熱は、2年も3年も続いたりしない」と言われたという。熱が何年も続かないというのは、その前に命が終わってしまうという意味だろう。
17:25 薬を飲ませる。
18:15 オムロン37.8度
18:35 オムロン37.5度

麻衣子の記録 連載第81回

10月3日(土)
9:55 麻衣子の病室へ。相変わらず、高熱。38.5度。声は小さめだが、「うーん、うーん」のうなり声。夜は冷やし枕だったらしいから、もっと体温は低かったのかもしれない。
12:55 オムロン40.2度
14:20 オムロン38.7度
15:00 オムロン38.4度。午前中から来ていた義母が帰る。
15:40 オムロン38.0度
16:00 オムロン38.1度
16:15 オムロン38.1度
16:30 オムロン37.9度
16:33 オムロン37.5度
16:50 オムロン37.4度
17:20 オムロン37.4度
17:35 オムロン37.7度
18:00 オムロン37.3度
18:10 薬を飲ませる。乳酸菌飲料を飲ませる。
18:30 オムロン37.9度
 ・・・・・・・・・・・
 早朝5時、私は段ボールをいくつか、アパートに運んだ。麻衣子は相変わらず高熱を出している。40度近くの熱のため、脇の下、大腿部も氷で冷やしてもらった。私は氷で冷やした小さなタオルで麻衣子の額を冷やした。
 
10月4日(日)
 朝、麻美と一緒に病院へ。麻美に麻衣子を任せて、すぐに私はニトリへ買い物へ行った。来るはずの美帆はとうとう病院に来なかった。麻美は病院前、15時22分のバスで土浦へ行く予定だった。そこから東京へ行き、鳥取に帰ることになっていたのだ。麻衣子をひとりにしないように、私は、急いで病院に戻った。
16:30 オムロン37.9度
17:35 オムロン37.7度
18:30 オムロン37.9度
 ・・・・・・・・・・・
 病院の帰りに、ホームセンターで、掃除機、座卓、台所の道具、ムシューダを買った。CD、DVDラックを組み立てた。

麻衣子の記録 写真編28

f:id:KAMIRU:20201226042257j:plain
 麻衣子は高熱を出した。
 主治医から話があった。白血球数が増えており、感染しているので、抗生剤で治療しますということだった。肺のCT画像も撮ったようだった。主治医から、治療法で何か希望がありますかと聞かれたので、痛みや苦しさをできるだけ緩和して欲しいとお願いした。
 麻衣子の高熱は続く。「うーん、うーん」と苦しそうな声をあげている。

麻衣子の記録 連載第80回

10月1日(木)
 不動産屋で、アパートの鍵を貰ってから病院へ行った。
 麻衣子の高熱は続いている。看護師さんによる、定期的な検温があるが、私も麻衣子の体温を測るようにした。オムロンと書いてあるのは、私が測ったものである。のちに、テルモの体温計の記述が出てくるが、これは、私が間違って買ってしまった基礎体温計で、口中ではなく、腋の下で測っているから、不正確であり、オムロンと較べて、数値が、かなり低く出ていた。でも、熱が上がったり下がったりの変化はわかるので、そのまま使っていた。
10:10 麻衣子の病室へ。「うーん、うーん」と苦しそうにうなっている。高熱が続いている。おしっこで汚れたので、ネグリジェを着替えさせて貰った。
12:10 オムロン39.3度
12:40 薬のせいで眠くなったのか、うなり声は出さなくなった。
13:00 オムロン38.3度。看護師さんによる検温も同じ、38.3度であった。
13:15 おむつ交換と体位変換
13:50 オムロン37.7度
  ・・・・・・・・・・・
 発作はほとんどない。心配なのは発熱だけだ。
 今日から、私は、新居への引っ越しを少しずつ進めている。病院からの帰りに、ホームセンターで脚立とトイレットペーパー、雑巾、ゴミ袋を買って、アパートへ行った。とりあえず、電灯をひとつつけた。ガス台や洗濯機、冷蔵庫を置く場所の寸法を測った。部屋のサイズを計測した。天気が悪いので、荷物の移動は明日からになるかな。
 麻衣子は相変わらず、高熱が続き、「うーん、うーん」とうなっている。タオルで頭を冷やしてやっている。やがて、熱も37度台に下がり、落ち着いた。
 昨夜、麻美と電話で話した。今後、3人で相談する必要なんてないと思った。私は私の考えで進める。自分の生きたいように生きるだけだ。
 
10月2日(金)
 朝、団地からアパートへ、段ボール箱9個を運んだ。毎日、早朝と深夜に、引っ越し荷物を少しずつ、アパートに運んでいる。
9:55 麻衣子の病室へ。40度を超える高熱で、「うーん、うーん」とうなっている。
12:55 熱が上がりきって、その熱に慣れたのか、うならなくなった。オムロン39.6度
13:30 オムロン39.2度
16:15 熱が少し下がったような気がする。でも、腋の下に氷が入っているので、体温は測れない。
17:15 薬を飲ませる。
17:20 氷枕と腋の下も冷やしてもらい、額も冷やしたので、36.7度まで下がった。
18:00 薬が効いてきたのか、眠そうな表情になった。  

麻衣子の記録 連載第79回

9月29日(火)
 朝、麻美と笠間の姉から電話がある。麻美は私が頻繁にトイレに行っていると美帆から連絡を受けたらしい。それで、私のかわりに美帆が病院に行ってくれることになった。姉には、麻衣子が高熱を出していることを伝えた。
 麻衣子が発病してから半年近くになって、自分自身のこれからのことを考えることが多くなった。引っ越しを決めたせいもあると思う。
 午後、少し元気になったので、ニトリに生活用品を見に行った。
 買い物リスト・・・一人暮らし用の食器、ガスコンロ、カーテン。
 処分する物・・・不要になったメディア(MD、MO、DVD、CD)、電池。
 
9月30日(水)
9:45 麻衣子の病室へ。薬を飲ませる。
9:55 抗生剤投与。お通じがあったらしい。麻衣子は、高熱のため、うなっている。
10:35 検温39.2度。看護師さんから氷をもらい、タオルで麻衣子の額を冷やす。
13:10 検温39.4度
13:30 うなるのが止まった。 
13:50 眠くなってきたようだ。
16:05 検温37.9度
16:08 左腕が揺れている。発作?
16:45 検温37.3度。口角から唾液が流れるようになった。弱くなったのだろう。午後はうなり声が弱くなった。うなり声は熱のせいか?
17:50 喉のネバネバ(かなりの量)をとって、薬を飲ませた。

新型コロナに揺れたこの一年

f:id:KAMIRU:20201225073240j:plain

 武漢で発生した新型肺炎
 習近平主席が、それまで箝口令をしいていた新型肺炎についての情報を公にするように指示したのが、1月20日だった。そのときの中国の新型肺炎による死者は4人。

 翌日21日時点の中国での感染者は294人、死者は6人だった。

 このとき、その後のパンデミックを誰が予想しただろうか。

麻衣子の記録 連載第78回

9月27日(日)
9:20 麻衣子の病室へ。便秘なので、座薬を使用したと言われた。小さい声だが、「うーん」と声を出している。苦しいのだろう。
9:45 薬を飲ませる。麻衣子は「うーん、うーん」とうなっている。右手の指に酸素計測機器がついている。
10:30 検温40.6度
12:10 麻美からの連絡を受けて、仕事が休みだった美帆が病院に来る。美帆に麻衣子を任せて、私は自宅に戻る。少し、体を休めようと思った。なぜなら、私自身が下痢と微熱が続いていたからだ。夜には、熱は下がったが、明日に備えて早めに横になった。
 
9月28日(月)
9:50 麻衣子の病室へ。抗生剤は1週間投与するという。検温37.5度
10:05 薬を飲ませる。「うーん、うーん」とうなっている。
10:15 喉のネバネバをとってやったら、かすかな声に変わった。
11:15 看護師さんによる口腔ケア。
12:55 ずっと、苦しそうに「うーん、うーん」とうなっている。
13:15 検温38.4度
14:15 検温38.7度
16:05 検温37.9度
16:08 左腕が揺れている(発作?)
16:45 検温37.3度
 
 ・・・・・・・・・・
 買い物リスト・・・電灯、絨毯、トイレットペーパー、タオル、雑巾、紙コップ、紙皿、割り箸、お風呂の蓋など。

麻衣子の記録 連載第77回

7 高熱に苦しむ
9月26日(土)
 私は昨夜から熱を出した。夜中に熱を測ったら、38.4度だった。冷やし枕で頭を冷やしたら、37度台に下がった。
9:55 麻衣子の病室へ。麻衣子も熱を出していた。熱は38.5度。いつもの点滴の他に抗生剤。そして、鼻から酸素。元気がない。
11:30 主治医から話があった。白血球数が増えており、感染しているので、抗生剤で治療しますということだった。肺のCT画像も撮ったようだった。主治医から、治療法で何か希望がありますかと聞かれたので、痛みや苦しさをできるだけ緩和して欲しいとお願いした。
 義母が来た。麻衣子は高熱が続く。「うーん、うーん」と苦しそうな声をあげている。
16:00 義母が帰った。
17:00 薬を飲ませる。しばらく前から、「うーん、うーん」という声もなく落ち着いている。看護師さんに言われた。「熱はすぐには下がらない」と。
17:55 喉のネバネバをとる。下顎が動いている。発作か?
 
    ・・・・・・・・・
 熱が出るのは、一番恐れていたこと。いよいよ危なくなってきたのかと、このときは思った。
 
私から麻美へ
ママの熱は、37.7度まで下がっていますが、さっき病院を後にするとき、ナースステーションの看護師さんに呼び止められて、緊急連絡先の確認がありました。ラストステージということだと思います。今晩からは、ノンアルコールにしたいと思います。